2010年02月06日
ありがとう269
松下幸之助に学ぶ「指導者の365日」
一念を定める
松下電器は、昭和七年四月、貿易部を新設し、自らの手による輸出事業に着手しました。幸之助三十七歳のときです。
当時の担当部長は、「貿易の経験者は一人もおらず、英文タイプも入手するのに、数ヶ月かかったが、商社に依存せず、自ら市場をつかむことから始めた」と。そして、3年後には、松下貿易株式会社を設立。
「一念を定めれば、中小企業でも、その気になれば誰でもできるよ」。
幸之助は、こうして戦前から世界市場へと大きな夢を膨らませていました。
ゼロから出発して、37歳で世界への夢を実現する。松下翁の偉大さを感じます。
「一念を定める」
私の一念は?。 沖縄そばで・・・・・・世界へ!
今日の朝礼で嬉しい発言がありました。
「私は今まで、皆さんに心を開いてきませんでした。これからは心を開いて楽しく仕事をしていきます。」
明るくさわやかな表情で言いました。
10年も一緒に仕事をしてきたMさんです。そして、その宣言どおり、明るく大きな声を出しながら仕事に取り組んでくれています。
勉強会なのか、朝礼のやり方なのかよく解りませんが、彼女の心に響くものがあったようです。
私と、そして働く仲間たちとの心の距離が縮まったということでしょうか。
お互いが信頼しあうと、こんなにも気持がよく、体が軽くなるもでしょうか。
とても幸せです。
皆さん、ありがとう!!
一念を定める
松下電器は、昭和七年四月、貿易部を新設し、自らの手による輸出事業に着手しました。幸之助三十七歳のときです。
当時の担当部長は、「貿易の経験者は一人もおらず、英文タイプも入手するのに、数ヶ月かかったが、商社に依存せず、自ら市場をつかむことから始めた」と。そして、3年後には、松下貿易株式会社を設立。
「一念を定めれば、中小企業でも、その気になれば誰でもできるよ」。
幸之助は、こうして戦前から世界市場へと大きな夢を膨らませていました。
ゼロから出発して、37歳で世界への夢を実現する。松下翁の偉大さを感じます。
「一念を定める」
私の一念は?。 沖縄そばで・・・・・・世界へ!
今日の朝礼で嬉しい発言がありました。
「私は今まで、皆さんに心を開いてきませんでした。これからは心を開いて楽しく仕事をしていきます。」
明るくさわやかな表情で言いました。
10年も一緒に仕事をしてきたMさんです。そして、その宣言どおり、明るく大きな声を出しながら仕事に取り組んでくれています。
勉強会なのか、朝礼のやり方なのかよく解りませんが、彼女の心に響くものがあったようです。
私と、そして働く仲間たちとの心の距離が縮まったということでしょうか。
お互いが信頼しあうと、こんなにも気持がよく、体が軽くなるもでしょうか。
とても幸せです。
皆さん、ありがとう!!
Posted by 上原繁猛 at 15:11│Comments(0)
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